冬瓜

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冬瓜を食べると父を思い出す。

 

大学生のころ、夏休みで帰省していると、

お盆に高校時代の友人が大きな西瓜を持ってきてくれた。

家を出る前に畑へ行って一番大きいのを選んで持ってきてくれたと言う。

西瓜が好きな父は大喜びでそれを切ったのだが、

立派な西瓜の中身は見事なまでに空っぽだった。

どうやら畑に長く置きすぎたらしい。

父は楽しみにしていただけにとても落胆した。

それを聞いた友人は翌年のお盆にずっしりと重い西瓜を父に手渡した。

父がそれを切ると中はまだ全く熟れておらず、真っ白だった。

「あいつのところの西瓜はいつも見た目は立派だが、中身が食えたことがない」

父の言葉を聞いて友人はお詫びにと巨大な冬瓜を抱えてきた。

すると今度は母が冬瓜など食べたこともないから料理できないと言う。

父はやれやれというように頭を振ると包丁を握った。

できあがった冷たい冬瓜の汁の味は私の夏の思い出のひとつになった。

父が作ったものはこの写真よりも、もっと冬瓜がきれいに透きとおっていて

溶けるようにやわらかく煮てあった。

 

今でも友人はお盆になると私の代わりに父の墓前で手を合わせて

西瓜の詫びを言っている。